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ピアモントの道巡礼日誌(Le Chemin d’piemont)

(ピアモントの道 : Oloron Sainte Marie ⇒ St Jean Pied de Port )
- 2010/5/21~5/24 -

(ピアモントの道)

2010年5月21日(金) 快晴

距離=22.4Km 累計距離=749.8Km 所要時間=5時間30分

Oloron(オロロン) Sainte(セント) Marie(マリー)(8:30) ⇒ Aren(アレン)(11:25) ⇒ L’Hôpital(ロピタル) Saint(サン) Blaise(ブレーズ)(14:00)
 出発時の約束どおり、娘はJaca(ハカ)経由、私はSt(サン) Jean(ジャン) Pied(ピエ) de(ド) Port(ポル)経由に、Oloron(オロロン)の教会前で8時30分別れた。Oloron(オロロン)を出てすぐのところで道を迷ったが、何とか道を尋ねながら巡礼路に戻した。平坦な畑と山道を強い日差しの中、黙々と歩く。Aren(アレン)のÉglise Saint Jean-Baptiste(教会)前で昼食を摂り、14時に今日の目的地L’Hôpital(ロピタル) Saint(サン) Blaise(ブレーズ)に着く。今日の宿はMairie(マリー)(支庁)で予約しなければならず、15時オープンなので教会近くのレストランでビールを飲んだり、教会の芝生で昼食を取ったりして時間を潰した。後で、このEglise de l'Hôpital Saint-Blaise(教会)が12世紀に建造されたロマネスク様式の聖堂で、世界遺産に登録されていることを知る。15時になりMairie(マリー)に行くとおじさん1人おり、ガイド本を見せながら宿泊の交渉を行うが通じない。そのうち車で教会の片隅につれていってもらう。なんとそこにツーリストオフィスがあり、女性が今夜のプレハブ小屋のような宿に案内してくれた。時間潰しのため、付近を散策するが、人家がほとんどなく閑散とした村だった。当然ここには店がなく、宿の自販機でコーヒを買い、パンのみの夕食となる。私一人の宿泊で、さみしい夜だった。
2010年5月22日(土) 快晴

距離=17.3Km 累計距離=767.1Km 所要時間=5時間

L’Hopital(ロピタル) Saint(サン) Blaise(ブレーズ)(7:10) ⇒ 
Mauleon(モレオン) Licharre(リシャール)オロロン川の支流であるセゾン川の右岸にあり、
モレオン城の廃墟がたつ丘のふもとにある。
左岸のリシャールは、新しい住宅地が谷へ
向かって伸びている。
(12:05)

 今日は距離が短く遅く出ても良かったが、することがなく7時10分にスタートした。誰と会うこともなく、あいかわらず暑い日差しの中、山と草原、道路の繰返しの巡礼路を行く。途中牧場の柵の道標を見落とし1時間程ロスする。南には雪を被ったピレネの山並みが望めた。Mauleon(モレオン) Licharre(リシャール)のÉglise Saint-Jean Baptiste(教会)前に12時5分到着で、かなりスローペースだった。ぎりぎりツーリストオフィスの閉店に間に合い、今夜の宿ユ-スホステル(15€)を確保する。chez mme ellisalt michèle(ユ-スホステル)は民家風の建物で巡礼路を少し離れた場所にあった。マダムに明日の宿を予約してもらう。シャワーと洗濯をし、近くのモレオン城見学(2.5€)と教会を見学する。夕食がなかったので、近くのレストランで済ます。ボリュームがあり、食べすぎて気分が悪くなった。
2010年5月23日(日) 快晴

距離=22.6Km 累計距離=789,7Km 所要時間=9時間10分

Mauleon(モレオン) Licharre(リシャール)(7:25 7:45) ⇒ Ordiarp(オルディアプ)(10:00)  ⇒ Saint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)(13:30) ⇒ Ibarrolle(イバロル)(14:20) ⇒ Larceveau(ラルスヴォー) Arros(アロ) Cibits(シビ)(15:50) ⇒ Saint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)(16:35)

 マダムの息子さんの用意した朝食を頂き、7時25分にスタートする。巡礼路まで戻り、7時45分にそこを出る。道中、放し飼いの牛、羊の大群、道路を移動中の牛群に出会う。Ordiarp(オルディアプ)の教会を10時に通過し、Napal(ナパル)峠を下った所で休憩した。そこを12時30分に出、Saint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)のEglise Saint-Barthélemy(教会)に14時20分に着いた。今夜はここで宿泊する予定だったが、間違って通り過ぎてしまう。途中で子犬に足を連続してかまれた。次の集落をSaint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)と思い込み、Eglise Saint-Barthélemy(教会)前でおじさんに、今夜泊まるGiteの場所を聞く。何とここは7Km離れたIbarrolle(イバロル)だという。明日通るところで、かなり疲れていたこともありがっくりきた。
 気を取り直して歩き始める。元来た道を引返せばよいのに、目的の場所を通り過ぎた認識がなくおじさん云われた方向に進む。時間的に着いてもいい頃に、3人連れに道をたずねるとLarceveau(ラルスヴォー) Arros(アロ) Cibits(シビ)だという。教会前の巡礼ボランティアらしき集団に聞くと、ここはどうもルピュイのルートらしい。Saint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)までは8Kmと云われる。何が何だかわからなくなった。親切なおじさんがSaint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)の宿まで送ってくれる。近くを散策すると、見覚えのあるGR78のマークと巡礼道標があるではないか。ここで教会の写真を撮ったので、確認すると写っていた。Giteは夕食がなかったので、ちかくのレストランで同宿のスイス人女性2人と馬連れのおじいさんとご一緒した。女性の一人はソンポルト越えで転倒して、顔を怪我していた。スイスの自宅からSantiago(サンチャゴ) de(デ) Compostela(コンポステーラ)まで巡礼し、今は自宅への帰りらしい。言葉が解らないこともあり、早々に退散した。
2010年5月24日(月) 快晴

距離=20.8Km 累計距離=810.5Km 所要時間=4時間55分

Saint(サン) Just(ジュスト) Ibarre(イバール)(7:15) ⇒ Ibarrolle(イバロル)(9:45) ⇒ Bussnarits(ブシュナリ)(10:45) ⇒ St(サン) Jean(ジャン) Le(ル) Vieux(ヴュー)(11:10) ⇒ St(サン) Jean(ジャン) Pied(ピエ) de(ド) Port(ポル)(12:10)

 7時15分に出発。1時間程歩くと昨日道を尋ねた教会に来た。ここはIbarrolle(イバロル)で、勘違いした昨日の疑問が解けた。あのおじさんに教えられたとおり歩くと、必然的にLarceveau(ラルスヴォー) Arros(アロ) Cibits(シビ)に行くことになる(聞き間違い?)。気を取り直してスピードをあげる。急な坂道の山越えで、Gamia(ガミア)の峠を越え、ここから巡礼路をはずれ、友人で巡礼先輩のYさんが推奨したHotelに9時25分に立寄る。St(サン) Jean(ジャン) Pied(ピエ) de(ド) Port(ポル)が遥かかなたに望まれ、すばらしい景観だった。そこでクレデンシャルにスタンプをもらい、コーラを飲んで、眺めの良い道路を下った。ルピュイルートとの合流点Bussnarits(ブシュナリ)に10時45分に着く。St(サン) Jean(ジャン) Le(ル) Vieux(ヴュー)の教会に11時10分、St(サン) Jean(ジャン) Pied(ピエ) de(ド) Port(ポル)入り口のSt(サン)Jacques(ジャック)門に12時10分に着く。
 さっそく宿捜しを始め、近くのGiteに行くが満室だった。そこのオーナーから斜め前のアルベルゲに行くよういわれ、行ってみたが受付時間には時間があった。取敢えず、教会を見に行くがすごい数の観光客に圧倒される。St(サン) Jean(ジャン) Pied(ピエ) de(ド) Port(ポル)はピレネー北麓のニーヴ川に跨ったフランス有数の観光地であることが窺がわれる。そこからツーリストオフィスに行くが、14時オープンなので、その間Barでビールを飲んだり、Ascarat(アスカラ)の教会に行ったり、本屋でカミーノ・フランセのガイド本を買ったりして過ごした。ツーリストオフィスに寄るが、ここではHotelの予約はするが、アルベルケは専門窓口いってくれといわれた。言葉が解らず悪戦苦闘する。窓口で1室16人収容のアルベルゲを16ユーロで決める。窓口では明日のピレネ峠越え注意点を日本語のガイドマップで説明してくれた。アルベルゲに荷物を置き、小高い丘にあるCitadelle(シタデル)城砦を見学する。夕食はペルリンメニュ-で安くあげる。アルベルゲは全部で20ベッドほどあるが、満室の上、鼾の合唱でほとんど眠れなかった。今日はフランス最後の夜です。

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