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フランス人の道巡礼日誌その2(Le Chemin d’frances)

(フランス人の道 : León ⇒ Santiago de Compostela)
- 2010/6/13~6/27 -

(フランス人の道:León ⇒ Santiago de Compostela)

2010年6月13日(日) 晴

距離=22.0Km 累計距離=493.0Km+810.5Km=1,303.5Km 所要時間=5時間45分

León(レオン)(6:45 2時間10分) ⇒ La(ラ) Virgen(ヴィルヘン) del(デル) Camino(カミーノ)(8:55 3時間35分) ⇒ Villadangos(ビジャダンゴス) del(デル) Páramo(パラモ)(12:30)

 6時45分に出発する。ひさしぶりに良い天気だった。教会を通る道標に従って進むと教会付近で迷った。同じように迷っている巡礼者がおり、多少時間をロスした。横幅100Mはあると思われる、16世紀から200年の歳月をかけて建築されたIglesia de San Marcos(旧サン・マルコス修道院)前を通り、ベルネスガ川にかかる橋を渡った。
 2時間程歩いたLa(ラ) Virgen(ヴィルヘン) del(デル) Camino(カミーノ)で、モダンなブロンズの聖霊降臨際の群像を建物に配したBasílica de la Virgen del Camino(教会)が目に付いた。道路沿いの単調な巡礼路を快調に進み、Valverde(バルベルデ) de(デ) la(ラ) Virgen(ビルヘン)でコウノトリが巣くったIglesia de Santa Engracia(教会)前のベンチで休憩した。珍しいのか、多くの巡礼者が写真を撮っていた。Villadangos(ビジャダンゴス) del(デル) Páramo(パラモ)に12時30分着いた。何にもない町で道路沿いのアルベルゲに落ち着いた。日誌によると、昨秋虫にさされて困ったとの日本人の記述があり多少心配する。今日もMさんとご一緒することになった。Mさんに携帯を借り、やっと16時頃娘と連絡がとれた。今夜はSahagun(サアグン)泊りで、4日後にRabanal(ラバナル) del(デル) Camino(カミーノ)で会うことになった。付近を散策すると、小さな教会があり日曜ミサをしていたが、入れる雰囲気ではない。明日の昼食を仕入れ、ひとまずアルベルゲに引返す。近くの1件しかないオスタルでMさんと20時から夕食(14€)を摂る。
2010年6月14日(月) 晴

距離=11.0Km 累計距離=504.0Km+810.5Km=1,314.5Km 所要時間=2時間50分

Villadangos(ビジャダンゴス) del(デル) Páramo(パラモ)(8:10 2時間50分) ⇒ Hospital(オスピタル) de(デ) Órbigo(オルビーゴ)(11:00)

 8時10分に出発する。時間調整のため、ゆっくり行きたいというMさんとここで別れる。San(サン) Martín(マルティン) del(デル) Camino(カミ-ノ)のCaminoIglesia San Martín(教会)を9時10分頃通過する。娘との距離を詰めるため、かなりゆっくりペースで歩いたのでかなりの人に追越された。13世紀頃架けられた、20を越すアーチによって構成された屈曲した歴史あるPuente Paso Honroso(石橋)を渡って、Hospital(オスピタル) Puente(プエンテ) de(デ) Órbigo(オルビーゴ)の町中に11時に着いた。3件のアルベルゲの中からSan Miguelを選択する。入口を入った所はオーナの絵画で飾られていた。時間つぶしのため、コウノトリの巣がある近くのIglesia de la Purificación(教会)と石橋付近をあてもなく歩く。さらに30分程南に歩いた隣町S.(サン) Pedro(ペドロ) de(デ) Pegas(ペガス)の教会を訪ねる。いなかの何の変哲もない教会だった。今夜はひさしぶりに、宿で一人夕食(10€)を摂った。
2010年6月15日(火) 曇

距離=17.0Km 累計距離=521.0Km+810.5Km=1,331.5Km 所要時間=3時間25分

Hospital(オスピタル) Puente(プエンテ) de(デ) Órbigo(オルビーゴ)(8:05 2時間10分) ⇒ San(サン) justo(フスト) de(デ) Vega(ベガ)(10:15 1時間15分) ⇒ Astorga(アストルガ)(11:30)

 アルベルゲSan Migueをl8時5分に出発する。単調な巡礼路を黙々と歩く。時間があったので左にそれて、田んぼの中の道を大回りした。巡礼路に戻るところで、林の中に迷いこんだ。10時15分頃San(サン) justo(フスト) de(デ) Vega(ベガ)の遥か先にAstorga(アストルガ)が見渡せる、十字架の碑が立つ高台に到着した。教会の尖塔が段々と大きくなってきて、鉄道の陸橋を越え、最初のアルベルゲ横を通り、坂を登りきった所のりっぱなAlbergue de peregrinos Siervas de María(アルベルゲ)に11時30分に着いた。
 Astorga(アストルガ)は中世の市壁で一部を囲まれていた。時間があったので、両サイドに鐘塔を、正面扉にプラテレスコ様式の彫刻を配した壮大なLa Catedral de Santa María de Astorga(カテドナルド)を見学した。また博物館として使用されている、ガウディー設計の流麗な建物Palacio Episcopalがあったが、有料だということで入場するのは止めた。アルベルゲSiervas de Mariaに13時30分頃チェックインする。そこでぱったりPamplona(パンプローナ)で会った日本人女性Nさんと再会する。カテドナルド近くのアルベルゲということで、19時に夕食の約束をする。15時頃から市壁に沿って散策する。カテドナルド前でジェラードさんと再開する。約束どおり夕食をNさんとご一緒する。
2010年6月16日(水) 曇

距離=4.0Km 累計距離=525.0Km+810.5Km=1,335.5Km 所要時間=1時間00分

Astorga(アストルガ)(7:30-10:30 1時間) ⇒ Murias(ムリアス) de(デ) Rechivaldo(レチバルド)(11:30)

 7時30分に出発する。次の目的地Murias(ムリアス) de(デ) Rechivaldo(レチバルド)まで4Kmなので、市内の周遊、スーパの買物、キャッシング(400€)をして時間を潰す。朝食後10時30分に出発する。途中日本語表記がある小さなErmita del Santo Cristo(チャペル)に立寄る。そこから10分ぐらい行った所に十字架と道標がある。11時30分にはMurias(ムリアス) de(デ) Rechivaldo(レチバルド)に着く。12時にムンシパルのアルベルゲ(4€)に落着く。そこで昼食のパンを食たり、近くをうろうろするが、とにかく暇である。Iglesia de San Esteban(教会)近くのBarの2階で一人夕食(9€)を摂る。後でこの近くに歴史保存地区に指定された赤い町Castrillo(カストリージョ) de(デ) Polvazares(ポルバサレス)があることを知り、行かなかったことを残念に思った。
2010年6月17日(木) 快晴

距離=16.0Km 累計距離=541.0Km+810.5Km=1,351.5Km 所要時間=6時間15分

Murias(ムリアス) de(デ) Rechivaldo(レチバルド)(8:00 1時間)  ⇒ Astorga(アストルガ)(9:00-14:00 2時間45分) ⇒ El(エル) Ganso(ガンソ)(16:45 1時間30分) ⇒ Rabanal(ラバナルl) del(デル) Camino(カミーノ)(18:15)

 今日はひさしぶりに良い天気である。8時娘を迎えにAstorga(アストルガ)までバックする。その途中でフランソワ夫婦とすれ違う。9時から14時まで娘を待つが、まだここまで到達してないようだ。再び、会う約束のRabanal(ラバナル) del(デル) Camino(カミーノ)に向かって歩き出す。全くの一人旅となる。Santa(サンタ) Catalina(カタリナ) de(デ) Somoza(ソモサ)のIglesia parroquial de Santa María(教会)を16時、El(エル) Ganso(ガンソ)のIglesia de Santiago(教会)を16時45分に通過する。このあたりの教会は、尖塔にコウノトリの巣が多くある。その先の山道で、フィンランド人のパリに住む婦人と会う。しばらく話をしながら歩き、後2.2Kmの所で別れた。彼女はムンシパルのアルベルゲに泊まるらしい。私は以前会ったフランス人と再会し、どのアルベルゲが良いか訪ねたが、言葉が通じず、その人とは別の教会系のアルベルゲに泊まることにした。18時30分に荷を下す。これからアルベルゲを回って、娘の宿を確認しようと動きかけた矢先に娘から電話が入った。ここに到達出来ないので、Foncebadón(フォンセバドン)で会うことになった。今日の夕食(10€)はよく解らず注文したが、思ったものが出てきた。今日もビノ(3.5€)をおかわりした。
2010年6月18日(金) 晴

距離=5.6Km 累計距離=546.6Km+810.5Km=1,357.1Km 所要時間=4時間00分

Rabanal(ラバナル) del(デル) Camino(カミーノ)(7:30 4時間) ⇒ Foncebadón(フォンセバドン)(11:30)

 朝食後5€を寄付する。ホスピタレーロ2人と写真を撮り、7時30分に出発する。時間があったので、巡礼路沿いの斜面に、3時間程かけてケルンに十字架を作る。Foncebadón(フォンセバドン)の入口に十字架があり、11時30分に着く。アルベルゲは14時オープンなので、近くのBarでビールを飲んだり、近くの鉄塔が見える小山に登ったりして時間を潰した。娘はなかなか来なく、16時頃やっと到着した。今度は26歳のイタリア人女性キアラを伴っていた。アルベルゲは夕食、朝食付きのドナチボだった。
2010年6月19日(土) 晴

距離=26.9Km 累計距離=573.5Km+810.5Km=1,384.0Km 所要時間=9時間10分

Foncebadón(フォンセバドン)(7:30 5時間) ⇒ Molinaseca(モリナセカ)(12:30 1時間30分) ⇒ Campo(カンポ)(14:00 2時間40分) ⇒ Ponferrada(ポンフェラダ)(16:40)

 霧の中を7時30分に出発する。遠くの山並みに風車が数多く見渡せた。今日は二人に付かず離れずの山越えの歩きだった。8時10分頃、イラゴ山頂(1,504M)のCruz de Ferro「掟の十字架」に着く。十字架が霧の中で幻想的に霞んで浮かんでいる。ペルーのおばさんに写真を撮ってもらう。その先にサンチャゴまで222Kmと表示した、非常に目立つ土産物店があった。ここからMolinaseca(モリナセカ)まで、標高差900M強の山下りだ。
 Ermita de Nuestra Señora de las Angustias(教会)の先のPuente De Molinaseca「中世の巡礼者の橋」を渡るとMolinaseca(モリナセカ)の町中に入る。橋下の川原で、12時30分頃昼食を摂る。道中Campo(カンポ)に四国88箇所巡礼の記念碑があった。
 国道沿いの高級住宅街らしきところを下ると、前方にPonferrada(ポンフェラダ)の市街地が望めた。
Ponferrada(ポンフェラダ)シル川に架けられた鉄の橋と
いう訳で、テンプル騎士団の
城塞の町だった。
に着くと、高台にありPonferrada(ポンフェラダ)の町が一望出来る
Castillo de los Templarios, Castillo de Ponferrada(ロス テンプラリオス城)インディ-ジョ-ンズの映画に登場して一躍有名になる。
テンプル騎士団の拠点場所です。
を30分程をかけて一巡りする。次にBasílica de la Virgen de la Encina(教会)を見学し、Torre del Reloj(プエルタ門)の下を潜り、Ayuntamiento de Ponferrada(市役所)前に出る。今夜の宿は、185人収容出来る大きなAlbergue de Peregrinos San Nicolás de Flue(アルベルゲ)だ。そこには日本人女性がホスピテーロとして世話していた。彼女にMさんからのメッセージを受取る。日本人ホスピテーロを含めた日本人5人とキアラと一緒に、近くのレストランで賑やかな夕食(12€)会を持った。
2010年6月20日(日) 快晴

距離=23.0Km 累計距離=96.5Km+810.5Km=1,407.0Km 所要時間=6時間10分

Ponferrada(ポンフェラダ)(7:20 2時間20分) ⇒ Camponaraya(カンポナラヤ)(9:40 1時間40分) ⇒ Cacabelos(カカベ-ロス)(11:20 2時間10分) ⇒ Villafranca(ビジャフランカ) del(デル) Bierzo(ビエルソ)(13:30)

 7時20分に出発する。教会付近で巡礼路をはずれてしまう。小高い道路からエレベータで降り、東から西へ方向転換して進んでいると巡礼路に合流した。30分程時間ロスした。Ponferrada(ポンフェラダ)市街地は解りにくい道標が続いた。Camponaraya(カンポナラヤ)に一風変わったデザインのParroquia de San Ildefonso(教会)があり、格好の目印になる。Cacabelos(カカベ-ロス)でParroquia de Santa María(教会)に入り、堂内を見学する。巡礼道は、前半道路、後半小高いところにあるブドウ畑の中と続いていた。
 坂を下る途中に、1186年建立のロマネスク建築Puerta del Perdón(サンチャゴ教会)があったが、北側に「許しの門」があることを知らず行き過ぎる。13時30分に
Villafranca(ビジャフランカ) del(デル) Bierzo(ビエルソ)この地はセブレイロ峠(1300m)越えの入り口にあり、
難所のためここでサンチャゴ巡礼を諦める人がいた。
その人々のために、ロ-マ法皇はこの村の同じ名前のサンティアゴ教会
を参拝した巡礼者に、サンティアゴ巡礼が完了したと認めたと云われている。
小さな村だが、巡礼者の休憩地となり立派な教会が多くある。
のブルビア川に出る。娘等が来るまでしばらく待たされた。アルベルゲはブルビア川に架かる橋を渡った先の町外れに決めた。15時からIglesia de San Francisco(教会)、Colegiata de Santa María de Clunia(教会) とMuseo de Ciencias Naturales(美術館)を巡る。見晴らしの良い一番高い教会裏の芝生で昼寝をした。19時30分から夕食を自炊した。
  2010年6月21日(月) 晴

距離=30.0Km 累計距離=626.5Km+810.5Km=1,437Km 所要時間=9時間10分

Villafranca(ビジャフランカ) del(デル) Bierzo(ビエルソ)(7:10 4時間50分) ⇒ Vega(ベガ) de(デ) Valcarce(バルカルセ)(12:00 4時間20分) ⇒ O(ド) Cebreiro(セブレイロ)(16:20)

 アルベルゲで朝食を摂り、7時10分にスタートする。相変わらず道路沿いの山道を進む。途中高速道路らしきものの下を潜った。Vega(ベガ) de(デ) Valcarce(バルカルセ)で休憩と10日程延長の航空便変更(268€/2人)の手配をしていると12時になった。15時頃牛の大群に出くわす。そこから30分程上ったPunto de entrada a Galicia(展望台)に赤い十字架の道標がある。出発から600Mの標高差のO(ド) Cebreiro(セブレイロ)に16時20分に着く。ここには歴史あるIgrexa de Santa María A Real do Cebreiro(教会)があったので、見学しスタンプを押してもらった。またパジョッサと呼ばれる、萱葺きで石造りの丸い歴史を感じさす住居跡があった。Albergue do Cebreiro(アルベルゲ_5€)は順番で部屋割りをしており、何故だか先着組は2段ベットの大部屋、後着組は1段のゆったりした部屋だった。娘等は大部屋、私は幸運にもゆったり部屋だった。私はコインが差込まれている大きな十字架のある丘に登り、心地良く昼寝をする。360度展望が開け、O(ド) Cebreiro(セブレイロ)の全景が俯瞰出来る。19時30分から近くのレストランでキアラと夕食(10€)を摂る。
2010年6月22日(火) 快晴

距離=21.0Km 累計距離=647.5Km+810.5Km=1,458.0Km 所要時間=7時間10分

O(ド) Cebreiro(セブレイロ)(7:30 30分) ⇒ Linares(リナレス)(8:00 1時間45分) ⇒ Alto(アルト) do(ド) Poio(ポイオ)(9:45 4時間55分) ⇒  Triacastela(トリアカステーラ)(14:40)

 O(ド) Cebreiro(セブレイロ)を娘達は7時20分、私は7時30分にスタートする。私は間違って、Linares(リナレス)まで国道を歩く。何人か歩いていたので安心した。San Roque峠でMonumento al Peregrino(モニュメント)を写真に収める。しばらく道路と平行して歩く。O(ド) Cebreiro(セブレイロ)より高い峠のPoio(ポイオ)のBarに9時45分に着く。大勢の巡礼者がたむろしていたので、私もここでビールとポカリージョを頂く。Triacastela(トリアカステーラ)には私が先着し、娘達はしばらくして到着する。わたしは近くのIgrexa de Santiago de Triacastela (教会)と次の日の分岐点付近を散策する。アルベルゲAitzeneaで宿泊申込みをする。娘達は昼寝をして過ごしていた。夕食(10€)は近くのBarで、片言の日本語がしゃべれるアメリカ人夫婦とカナダ人、キアラと同席する。
2010年6月23日(水) 快晴

距離=34.5Km 累計距離=682.0Km+810.5Km=1,492.5Km 所要時間=9時間50分

Triacastela(トリアカステーラ)(7:40 5時間10分) ⇒ Sarria(サリア)(12:50 4時間40分)  ⇒ Ferreiros(フレロス)(17:30)

 7時40分に出発する。昨日下見した分岐点の道標に着く。今回は2ル-トの内、楽な右方向のSan(サン) Xil(クスイル)経由とした。もう一方のコースには、有名なSamos(サモス)修道院がある。少しアップダウンのある山道を、少しの休憩のみで11時50分にSarria(サリア)に着く。さっそく町入口付近のBarで昼食を摂る。Sarria(サリア)からスタートするとSantiago(サンチャゴ)から108Kmなので、歩いて巡礼証明書がもらえる最短区間である。そのこともあって、巡礼者が急に増えた気がする。Concello de Sarria(市役所)からSarria Schriftzug / Sarria Nametagの角を曲りSarria Peregrino(観光案内所)に行く。そこには十字架のモニュメントがあり眺めが良い。そこからConvento da Mercé(教会)に寄り、Ponte da Áspera(石橋)を渡り郊外に出る。
 今日は長丁場で、しかも単調な巡礼路だ。Mirador da Brea(バル)付近にサンチャゴまで100Kmの落書き激しい道標があった。予定地Ferreiros(フレロス)はアルベルゲが1軒しかないので先を急ぐ。最後の登り坂では巡礼路が通行止めになっていて、迂回路であるぬかるみの急坂を登ることになった。自転車が四苦八苦して手押ししていた。パンク修理していた自転車の集団を尻目にアルベルゲに先着した。しかし、案の定満室だった。聞くと、2Km程行ったところにHostalがあるというので、気を取り直して再出発する。ところが幸いなことに100M程下ったところに、Restaurante O Mirallos(Bar兼アルベルゲ)があり安堵した。17時30分を過ぎていた。寄付ということで5€を払い、荷を下す。夕食(10€)はそこで摂った。夜、付近の住人が集まり、焚火を囲んで祭りらしきもので賑わっていた。Iglesia de Santa María de Ferreiros(教会)が火の灯りと月の明りで照らしだされていた。結局このアルベルゲも満室近くになった。シャワーは水しか出ず、騒がしい夜となり、5€は払い過ぎた感がする。
2010年6月24日(木) 晴

距離=24.5Km 累計距離=706.5Km+810.5Km=1,517.0Km 所要時間=7時間50分

Ferreiros(フレロス)(8:10 2時間50分) ⇒ Portomarin(ポルトマリン)(11:00 5時間) ⇒ Ligonde(リゴンデ)(16:00)

 Barで朝食(3.5€)を済ませ、8時10分に出発する。湖のようなRio da Miño(ミニョ川)が前方に開け、その川にかかるNew Bridge and Bridge Vella(橋)を渡り、階段の先のCapela das Neves(門)を潜る。そこがPortomarin(ポルトマリン)で、11時頃の到着だった。買物を済ませ、Igrexa de San Nicolao de Portomarín(教会)でスタンプを押してもらう。再び橋を渡り、国道沿いの山道のアップダウンを繰返しながら、今日の宿Ligonde(リゴンデ)には16時に着いた。一番手前の10人収容の宿で、ドナチボで質素なアルベルゲだった。Barで19時30分頃まで時間を潰した。この宿を運営している子連れ夫婦の話があり、20時からホスピレーロ等と夕食をした。
2010年6月25日(金) 晴

距離=31.5Km 累計距離=738.0Km+810.5Km=1,548.5Km 所要時間=9時間25分

Ligonde(リゴンデ)(6:45 2時間15分) ⇒ Palas(パラス) de(デ) Rei(レイ)(9:00 3時間) ⇒ Melide(メリデ)(13:00-13:50 4時間10分)  ⇒ Arzua(アルスーア)(18:00)

 アルベルゲで朝食を済ませ、二人で10€払って、ひさしぶりに6時台の6時45分に出発する。LestedoのIglesia Parroquial Santiago De Lestedo(教会)付近を通る7時30分頃東の空が赤らむ。Palas(パラス) de(デ) Rei(レイ)で休憩後、そこを9時に出発する。Melide(メリデ)手前の町Furelosを流れるFurelos川に架かるPuente de San Xoán de Furelos(ロ-マ橋)を12時40分に通過し、近くのIgrexa de San Xoán de Furelos(教会)を見学する。Melide(メリデ)に13時頃に着き、昼食を摂る。Museo Terra de Melide(博物館)を13時55分に出発し、近くのIglexa de San Pedro de Melide(教会)を見学する。そこから巡礼路を15分程進み、サンチャゴまで50Kmのborne 50km-Camino Frances(道標)を右折して、Iglesia de Santa María de Melide(教会)を通り郊外に出る。セブロイド峠付近から、サンチャゴまでの距離表示が500M間隔でされているので励みになる。記念に、10Km刻みと、ゾロ目の道標を写真に撮り始める。今日も道路沿いの歩道を多少のアップダウンを繰返しながら歩く。比較的大きな町のArzua(アルスーア)のアルベルゲ(10€)に18時前に着く。今日は午前中涼しかったが、午後はいつもどおり日差しがきつい。林が多かったので多少救われる。今日は31.5Km歩いた。アルベルゲで以前会ったアメリカ在住の韓国人夫婦に再会する。夕食は近くのレストランに、ペルー人とキアラと同行する。レストランにはフランソワ夫婦がたまたま居合わせ、賑やかな食事となる。
2010年6月26日(土)

距離=34.5Km 累計距離=772.5Km+810.5Km=1,583.0Km 所要時間=9時間40分

Arzua(アルスーア)(7:20 4時間40分) ⇒ O(オ) Pedrouzo(ペドローソ)(12:00 3時間) ⇒ Labacolla(ラバコジャ)(15:00 2時間)  ⇒ Monte(モンテ) do(ド) Gozo(コソ)(17:00)

 アルベルゲで朝食(3€)を済ませ、Arzua(アルスーア)を7時20分に出発する。今日も多少のアップダウンのある畑、林間と道路上の単調な巡礼路だ。O(オ) Pedrouzo(ペドローソ)で昼食を済ます。ここからサンチャゴまで20Km程だ。国道A-54にぶつかるAmarelle(アコルーニャ)付近に、ホタテ貝をぶら下げた杖のデザインBorne d'entrée à santiago-Camino Frances(石碑)があり写真を撮る。今夜の宿Labacolla(ラバコジャ)に15時に着いた。Iglesia de Lavacolla(教会)の前近くにHostalが集中しており、すごい賑わいだ。Hostalに泊まろうと思っていたら、居合わせた人が交渉してくれ、空部屋があるといわれたが、今夜は祭りのためやかましいということだった。そこで、友人で巡礼先輩のYさんが泊まったHotelに行くことにする。巡礼路からそれて道路をしばらく行き、右に入ったところに小奇麗なPazo Xanxordo(Hotel)はあったが、そこも満室だった。親切なオーナがMonte(モンテ) do(ド) Gozo(コソ)のAlbergue municipale(アルベルゲ)に空があることを確認してもらい、非常に疲れていたが道路を歩くと3Km程ということなのでそこに行くことにした。巡礼路に合流して少し行ったところに、「歓びの丘」にMonumento do Monte do Gozo(記念碑)があった。眼下に今までに見た中で最大級のアルベルゲ群が見えた。そこでフランス人の3人組みと、涼子さんに再会する。19時過ぎに近くのレストランで夕食(7€)を済ます。
2010年6月27日(日) 曇

距離=4.5Km 累計距離=777.0Km+810.5Km=1,587.5Km 所要時間=1時間20分

Monte(モンテ) do(ド) Gozo(コソ)(7:30 1時間20分) ⇒ Santiago(サンチャゴ) de(デ) Compostela(コンポステーラ)(8:50)

 アルベルゲを7時30分に出発する。少し肌寒い中を、アルベルゲの建物群の中を下って行く。アルベルゲの入口付近の自動販売所で簡単な朝食を摂る。「よいご旅行を」の縦看板を左に見て坂道を下り、市街地を1時間程歩くと、眼下にカテドナルドの尖塔が見えた。さらにしばらく下り、アニマス礼拝堂横を抜けるとCatedral de Santiago de Compostela(大聖堂)前のPraza do Obradoiro(オブラドイロ広場)に8時50分に着く。巡礼者はSantiago(サンチャゴ) de(デ) Compostela(コンポステーラ)到着日を日曜日に合わせるが、まさにこの日が日曜日である。広場は観光客と相まって、大変な人だかりである。特に、今年は6月25日の聖ヤコブの日が日曜日に当たる年で、聖ヤコブ大祭の年にあたる(6年、5年、6年、11年の周期)。Praza da Quintana(キンタ-ナ広場)側にある開かずの扉「聖なる門」が年間を通して開かれる。次に開かれるのは11年後の2021年である。巡礼証明証書をもらうために、長い行列に加わった。入り口には巡礼の友とした杖が沢山積み上げられていた。機械的ではあったが、10時頃待望の巡礼証明書の発行を受けた。
 ミサが始まるまで、行列が出来ていた「聖なる門」に入らず、Arcebispado Santiago de Compostela(教会)前の行列も無視して時間を潰す。オブラドイロ広場でイベントが始まろうとしていた。11時頃、正面入口のファサードをくぐり、栄光の門を抜け、大聖堂の中へ入っていった。ミサは12時から始まり、ボタフメイロ(吊香炉)でクライマックスに達し、13時30分に終了した。
 オブラドイロ広場に出ると、歌のうまいドイツ人夫婦、オーストラリア夫婦、涼子さん、その他娘が出会った多くの人達と示し合せた様に再会した。それぞれの人たちと記念写真を撮りあったり、最高潮に達したイベントを見て高揚した気分で過ごす。14時頃変なスペイン人セザールに連れられ、立席のスペイン料理店に行く。その前で自然に集まった人達と写真を撮る。その後サマランカの大学に留学中の日本人と土産店をまわり、ティーシャツ等を購入した。夜は昨日約束してあったフランス人3人組と食事した。宿泊はフランス系ケッベク人の案内で、カテドナルド近くのアルベルゲ(18€)を確保する。料金の割には粗末な寝床だった。

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