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アルルの道巡礼日誌その2(Le Chemin d’Arles)

( アルルの道_その2 : Toulouse ⇒ Oloron Sainte Marie )
- 2010/5/13~5/20 -

(アルルの道_その2)

2010年5月13日(木) 雨

距離=53.7Km 累計距離=524.2Km 所要時間=6時間06分

Toulouse(トゥールーズ)(7:24 1時間6分) ⇒ L’isle(リル) Jourdain(ジュールデン)(8:30 3時間) ⇒ Monferrn(モンフェラン)Saves(サヴェス)(11:30 2時間) ⇒ Gîte Le Grangé(13:30)

 Toulouse(トゥールーズ)手前と同じ理由で市街地は列車を利用する。駅まで少し遠回りになり、7時24分発の列車にぎりぎり間に合う。ひなびたL’isle(リル) Jourdain(ジュールデン)駅に下車する。巡礼路に入る道がわからず、Collégiale Saint-Martin教会付近で道を聞き聞きしていると、出発が8時30分頃となる。道路を2Km程行ってようやく巡礼路を見つけ歩き出すが、林と田んぼの中のぬかるみの悪路となる。Monferrn(モンフェラン)Saves(サヴェス)に11時30分に着き、30分の休憩をとる。ここでもÉglise Monferran-Savès(教会)が一際目につく。
 そこからも相変わらずぬかるみの歩行で、くつは泥だらけになった。雨が強くなったので、Giscaro(ジスカロ)手前の1Km程入ったGîte Le Grangéに泊まることにした。13時30分の到着で、泊まれるかと尋ねると、本日は満室だがリビングでOKになった。オーナはドイツ人夫妻で、巡礼路で知り合ったという。泊り客は18人で大変賑やかだった。大変おいしい料理を頂いた。そこでイタリア人のクララさんと再会する。
2010年5月14日(金) 晴

距離=32.4Km 累計距離=556.6Km 所要時間=11時間40分

Gîte Le Grangé(7:20 19分) ⇒ Giscaro(ジスカロ)(7:39 1時間31分) ⇒ Gimont(ジモン)(9:10 9時間50分) ⇒ Montégut(モンテギュ)(19:00)

 7時20分に宿を発つ。Église Saint-Pierre(カトリック教会)が朝日に煙るGiscaro(ジスカロ)の集落を抜けると、ぬかるみの畑と道路を交互に進む。そしてアップダウンのある広大な高原を4Kmペースで進んだ。娘とクララさんは話が弾んでいるようだ。日が射すところは暑いが、日陰は寒いくらいである。Gimont(ジモン)ではEglise Notre-Dame de l'Assomption(教会)を見学する。その郊外にも尖塔を配したChapelle Notre-Dame-de-Cahuzac de Gimont(チャペル)があった。
 見晴らしの良い高原を気持ちよく歩いた。私が二人を先行する形で、途中誰も通ることのない道端で昼食を摂った。小さな集落と高原を繰返し、やがて眼下に立派な建物群が見えた。そこを訪れると、Château de Montégut(城)だったので、建物内を見学する。坂を下るところで、右に行くところを左に行き、小高いところにあるキャンプ場の宿泊所に行ってしまう。道を聞きながら進んだが解らなくなった。今日は40Km近く歩いたので相当に疲れた。会社らしきところでGiteに電話してくれ、オーナが車で迎えにきてくれた。結局2時間程ロスしてGîte La Croisée de Saint-Cricqに19時に到着した。娘がさっきの会社のところでカメラを落としたというので、走って取りに行った。そこでも心配して車で迎えに来てくれた。やぎに乳を飲ましたりしてくつろいだ。夕食はカミーノの歌などが飛出し、楽しいパーティーとなった。
2010年5月15日(土)曇、晴、雨

距離=37.0Km 累計距離=593.6Km 所要時間=11時間50分

Montégut(モンテギュ)(7:40 1時間) ⇒ Auch(オーシュ)(8:40 6時間) ⇒ Barran(バラン)(14:40 4時間50分) ⇒ Montesquiou(モンテスキウ)(19:30)

 朝食を済ませ、7時40分にスタートする。なだかな下り道をゆっくり進み、Auchに向かった。公園を抜け橋を渡ると、Auch(オーシュ)の壮大なCathédrale Sainte-Marie(大聖堂)が望めた。そこに8時40分到着する。大聖堂の外壁は工事中だったが、大聖堂内は見学出来て、特にステンドグラスはすばらしかった。大聖堂前で、丁度朝市が開かれていた。そこで1時間程時間を潰した。クララさんは用事があるというので、ここで別れて9時40分に再スタートする。
 Auch(オーシュ)を出たところで少し迷った。クララさんもここで迷い、相当時間ロスしたらしい。道標の間隔が長く、不安になることもあった。途中の登り坂で、日本に行ったことがあるという女性二人づれと会う。彼女等とは途中何度か姿を見かけた。今日は宿まで39Kmの長丁場、麦畑と草原の中を雨が降ったり止んだりの繰り返し。時折雷の音もする。国道を歩いていると左足が痛くなった。昨日下り坂を走った影響か。雨が強く、足の痛みもありペースダウンする。今日のコ-スでほぼ中間点Barran(バラン)のCollégiale Saint-Jean-Baptiste de Barran教会に14時40分に着く。
 L'Isle-de-Noé(リスル=ド=ノエ)のÉglise Saint-Pierre(教会)を15時50分、Montesquiou(モンテスキウ)の町を18時30分に通過する。途中唯1件のストアで買物をする。今日の宿はMontesquiou(モンテスキウ)郊外のキャンピング用ペンションで19時30分に着く。城のようなLogis Château le Hagetホテルで受付を済ます。同行のクララさんはAush(オーシュ)で道を間違えたこともあり、20時30分に着く。今晩はクララさんの手料理で頂く。非常に寒い夜で、足の痛みも気になる。
2010年5月16日(日) 雨、曇、晴

距離=24.0Km 累計距離=617.6Km 所要時間=6時間00分

Montesquiou(モンテスキウ)(10:00 6時間) ⇒ Marciac(マルシアック)(16:00)

 10時のスタート。今日も天気がめまぐるしく変わり、ポンチョを着たり脱いだりで天気に翻弄される。Pouylebon(プイルボン)のÉglise Sainte-Anne(教会)を11時に通過する。舗装道路、畑と草原のぬかるみが続く。途中、鄙びた町Saint-Christaud(サン=クリスト-)のEglise Saint-Christophe(教会)内で昼食を取る。足の痛みがひかず道路を歩くことにした。国道D159がD943号線に交わる畑の中で、ペインチングをした円筒形の構造物が目を惹いた。Marciac(マルシアック)の教会前Giteに泊まる。16人くらいの収容で、ほぼ満杯状態だった。今夜は自炊をした。そこでフランス人のフランソワ夫妻、ロニーと初めて出会う。
2010年5月17日(月) 晴

距離=18.0Km 累計距離=635.6Km 所要時間=2時間30分

Marciac(マルシアック)(8:30 2時間30分) ⇒ Maubourguet(モブルゲ)(11:00-19:00 30分) ⇒ Lacaste(ラカテ)(19:30)

 8時30分スタート。近くのパン屋で昼食を仕入れる。足の痛みがひどくなり、私だけ国道を歩き巡礼路をショートカットすることにした。18.5Kmを5Km短縮できた。巡礼路と道路と交わるところにメモを残すと約束して別れる。痛む左足を舗装道路の土にかけ、アップダウンを苦労して進む。途中6KM弱残したところで、10時20分頃車に拾われMaubourguet(モブルゲ)近くまで送ってもらう。足をひきずって歩いていたのを見かねて声をかけたらしく、何回も辞退したが断りきれなかった。11時にMaubourguet(モブルゲ)のアドゥ-ル川に面したÉglise Saint-Martin(カトリック教会)に到着した。昼食と教会見学で時間を潰した。教会内では珍しい図柄のステンドグラスが掲げられていた。娘等は14時30分に到着する。フランス人のフランソワ、ロニーさん等と宿探しをしていると、おばさんに声をかけられ自分のGiteに泊まるよう勧誘される。7Km手前のLacaste(ラカテ)になるが、泊まってくれれば今日の本当の予定地Lahitte(ライット) Toupiere(トゥピエール)まで送ってくれるという。結局そこに泊まることにした。娘等はLahitte(ライット) Toupiere(トゥピエール)まで歩き、私はおばさんが病院に行っている1時間あまりをここで待つことになる。おばさんは私をまずGiteに送り、足のアイシン゙グをして、娘等を迎えに行った。きたないGiteで、犬と猫を飼っていた。犬にしつこく相手をさされた。3人新たな客がツーリストオフィスの紹介で泊まりにきた。強引におばさんに夕食を進められ、いやいや食べていた感じだった。私はベッドの移動を手伝わされた。そこは高台にあり、近くに教会の尖塔が見えた。
2010年5月18日(火) 晴

距離=37.0Km 累計距離=672.6Km 所要時間=10時間40分

Lacaste(ラカテ)(7:30 30分) ⇒ Lahitte(ライット) Toupiere(トゥピエール)(8:00-8:20 5時間10分) ⇒ Momy(モミー)(13:30 1時間) ⇒ Anoye(アノワ)(14:30 4時間30分) ⇒ Gabaston(ガバストン) ⇒ Morlaas(モルラア)(19:00)

 約束どおりLahitte(ライット) Toupiere(トゥピエール)まで送ってもらう。そこには花で飾られた馬車のモニュメントがあった。そこを8時20分スタートする。今日はMorlaas(モルラア)まで31.9Kmの長丁場で足が心配である。今日は暑い1日で、畑・森・道路の繰返しで水の消耗が早かった。豚を飼っているところがあったり、子犬がついてきたりして変化があった。Momy(モミー)近くの湖で昼食のため30分休憩した。Momy(モミー)のÉglise paroissiale Saint-Jacques(教会)前を13時30分に通過する。Anoye(アノワ)のきれいなGiteで水を補給する。Eglise paroissiale Notre-Dame(教会)では葬儀を行っていた。Gabaston(ガバストン)までは順調だったが、そこから足の痛みのため失速して、Morlaas(モルラア)に入る最後の登り坂はよれよれだった。結局19時到着となった。Giteが郊外にあったため、捜すのに少し手間取ったが、それはキャンプ場の中にあった。今夜は貸切で、急いで買物をして自炊する。足が痛いので、ガイド資料等処分して、荷を減らした。
2010年5月19日(水) 晴

距離=21.0Km 累計距離=693.6Km 所要時間=5時間45分

Morlaas(モルラア)(8:30-10:00 5時間45分) ⇒ Lescar(レスカー)(15:45)

 Giteを8時30分に出発する。工事中のMorlaas(モルラア)のParoisse Sainte Foy in Béarnカトリック教会を見学後、荷物を最小限に減らすため、郵便局に立寄り自宅に送付する。そのためMorlaas(モルラア)の出発が10時となる。畑の中に、時折閑静な住宅が見受けられた。大きなForet Domaniale de Bastard公園を入ったところで昼食を摂った。学生らしいマラソンランナーが練習をしていた。公園を抜けるとHippodrome de Pau(競馬場)があった。その一角にはりっぱなキャンピングカーが停留していた。舗装道路の多い区間を通り、Lescar(レスカー)に15時45分に到着する。今日は5Km程先のArtiguelouve(アルティグルヴ)に行く予定だったが、HotelがとれずLescar(レスカー)泊まりとなる。そこのツーリスト・オフィスでGiteを予約する。ツーリスト近くのCathédrale Notre-Dame de l'Assomption(大聖堂)と博物館を見学する。Giteでは今日パリから来たという太目のおばさんに会い、オイルを使った足のマッサージを受ける。包帯を他の宿泊者から湿布油の予備をおばさんから頂いた。何故だかそのおばさんは、Giteの宿泊者ではなかった。
2010年5月20日(木) 晴

距離=33.8Km 累計距離=727.4Km 所要時間=10時間05分

Lescar(レスカー)(7:05 6時間30分) ⇒ Lacommande(ラコマンダ)(13:35 3時間35分) ⇒ Oloron(オロロン) Sainte(セント) Marie(マリー)(17:10)

 Lescar(レスカー)を7時5分出発する。20分程行ったところの鄙びたéglise Saint-Julien de Lescar(教会)横を通る。今日はOloron(オロロン) Sainte(セント) Marie(マリー)まで33.8Kmの長丁場である。牧草、草原の緑と畑の土色が延々と続いていた。かなりアップダウンがあったが、南に雪を覆ったピレネ山脈を見ながらの歩行で気が紛れた。Lacommande(ラコマンダ)までの13.8Kmを4時間30分要し少し心配した。それもOloron(オロロン) の標識を見て、線路を跨ぎ、遥かかなたピレネー雪山を背景にÉglise Notre-Dame d'Oloron-Sainte-Marie(教会)の尖塔を発見した時、その心配は霧消した。Oloron(オロロン)の教会には17時10分のほぼ予定時間に着いた。Oloron(オロロン) Sainte(セント) Marie(マリー)は高台にあり眺めはすばらしかった。足の方は順調に回復している。明日から娘と別れて、ピアモントの道を歩く。Puente(プエンテ) la(ラ) Reina(レイナ)で再会する。
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