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アルルの道巡礼日誌(Le Chemin d’Arles)

( アプローチ : 成田、Moscow、Roma、Milano、Nice、Arles )
- 2010/4/18~4/23 -
( アルルの道_その1 : Arles ⇒ Toulouse )
- 2010/4/24~5/12 -

はじめに

 友人で巡礼先輩のYさんと娘に触発されて、3ヵ月近くの巡礼の旅に出発する。60数歳の、フランスとスペインの地1,700Km近くを徒歩による、その日まかせの旅です。娘とは同行するが、半工程近く別行動となる。英語は殆ど通じない地で、つたない英語力を駆使しての無鉄砲な巡礼です。毎日毎日が刺激の連続で、言葉の壁はあったが、思った以上に楽しめ、各国の巡礼者と交流することが出来た。最後の10日間程は、手探りのポルトガル、スペイン、イタリアの一人旅を満喫した。臆せずぶつかれば、苦労はするが、思い出に残る素晴らしい旅が出来ることを実感した。
 Cheminはフランス語で「道」、スペインではCaminoです。フランスには4つの主要巡礼路があり、アルルの道はその一つです。このルートは巡礼者の数が少なく、変化に富んだ景観を楽しめます。行き交う人が少ないので、山道など不安を感じることがあります。住民は巡礼者に寛容で、時に親切過ぎて戸惑うこともあります。
巡礼日誌には参考のために、解っている範囲でタイム、距離、累計距離、経費を明記した。写真は文書内に赤書きで表記した。

(移動)

2010年4月18日(日) 晴

移動時間(電車)=4時間

長野(18:07 1時間18分) ⇒ 大宮(19:25 1時間33分) ⇒ 日暮里(20:58 1時間2分) ⇒ 成田(22:00)
 長野マラソンを制限時間ぎりぎりで完走後、予定どおり長野発18時7分発の「あさま」に乗る。携帯電話をマラソン用リュックに入れたまま忘れる。このことにより、後々の連絡手段に苦労することになる。アイスランド火山噴火により航空機の運行が不確かなため、成田のHotelを一旦キャンセルしていたが、再度同じ値段(3,700円)で予約し直す。
2010年4月19日(月) 晴

移動時間(飛行機、タクシー)=

成田(12:00) ⇒ Moscow(モスコー) Sheremetyevo(シェルメティボ)(モスクワ時間18:08 19:45) ⇒ Fimicino(フィウミチーノ) Roma(ローマ)(イタリア時間21:30 0:50) ⇒ Roma(ローマ) Termini(テルミニ) (1:30)
 娘と成田で合流する。とりあえず5万円を€に換金する。レートは1€が127円強だった。アイスランド火山噴火により予定のMilano(ミラノ)は空港クローズのため、Roma(ローマ)に変更して出発する(全込航空運賃212,180円/2人)。いよいよ巡礼の旅がスタートした。成田を40分遅れの12時に出発し、43分遅れの18時8分にMoscow(モスコー) Sheremetyevo(シェルメティボ)空港に到着する。そこでMilano(ミラノ)の当日のHotelをキャンセル(キャンセル料は全額だが翌日分を確保するため)する。モスクワを19時45分に出発し、ほぼ定刻にRoma(ローマ)Fimicino(フィウミチーノ)空港に到着する。それからが大変で、Hotel予約のため空港のツーリストで長時間待たされ、0時30分頃40€でRoma(ローマ)のTermini(テルミニ)駅近くのHotelを予約する。既に電車は運転されてなく、ツーリストではRoma(ローマ)までタクシーで40€ということであったが、乗る前に確認せず60€になってしまった。空港近くに宿を取っていた日本人夫婦がいたが、近距離ためタクシーを拒否され困っていた。
Roma(ローマ)のHotel はTermini(テルミニ)駅に近かったが粗末だった。
2010年4月20日(火) 晴

移動時間(電車)=3時間00分

Termini(テルミニ)(9:00 3時間) ⇒ Milano(ミラノ)(12:00)
 現地時間に時計を修正する(夏時間のため時差8時間)。7時30分過ぎ、娘がTermini(テルミニ)駅でMilano(ミラノ)行き9時発の切符(178€/2人)を購入する。12時頃Milano(ミラノ)駅に到着し、歩いてHotel Sempione (ツイン198€/2日)に行きチェックインした。少し休憩し、サッカのチケット(524€/2人)を受取るため指定のHotel Ritterに行った。
 その足でMilano(ミラノ)のDuomo(ドーモ)広場を目指した。Duomo(ドーモ)広場は名のとおり大聖堂前の広場で、Duomo di Milano(大聖堂)は壮観で、堂内のステンドグラスは素晴らしく、一見の価値がある。そこからガラス天井のショッピングモ-ル「ガレリア」を通り、市内を散策しながらHotelまで徒歩で帰る。
 サッカ観戦の時間までHotelで休憩し、18時頃Hotelを出発、地下鉄のOtt(オットー)駅で下車する。そこからサン・シーロ(別名ジュゼッペ・メアッツァ)スタジアムはすぐ近くです。チャンピオンリーグのFCバルセロナとインテルミラノの試合は満席で、席に辿り着くまで大変だった。地元インテルミラノが勝ったため、サポータはすごい騒ぎだった。サッカ観戦後0時頃Hotelに帰り、遅い食事をする。
2010年4月21日(水) 晴

移動時間(電車)=6時間55分

Milano(ミラノ)(12:05 1時間55分) ⇒ Genova(ジェノヴァ)(14:00-14:59 4時間1分) ⇒ Bordighera(ボルディゲーラ) ⇒ Nice(ニース)(19:00)
 9時頃起床し、Milano(ミラノ)12時5分発の列車でNice(ニース)まで行くことにする。14時頃Genova(ジェノヴァ)に着き、乗換えの待ち時間に駅構外を10分間程見物する。14時59分発のイタリアとフランス国境のBordighera(ボルディゲーラ)行きに乗った。駅近郊でツーリスト事務所を探すが見つからず、付近にHotelもなくやむなく駅に戻る。Nice(ニース)行きは110分遅れと表示されていたが、40分遅れとなっていたのでぎりぎりその列車に飛乗る。Nice(ニース)の手前でMonte(モンテ-)Carlo(カルロ) Monaco(モナコ)の駅を通過した。高台にMonaco(モナコ)の建物を一瞬だったが確認出来た。Nice(ニース)の第一印象は、Nice(ニース)駅前風景の高級リゾート地と思えない雑然さだった。Nice(ニース)での宿探しはさんざんである。ツーリスト事務所は既に閉まり、直接Hotelとの交渉である。捜し始めた早々、スリ目当てと思われる男に異臭を放つ液体を降りかけられる。当初鳥の糞と思ったが、ちり紙で拭いてくれたりして、親切を装う男があり、これは気をつけないといけない思い、注意していたので幸い被害には遭わなかった。しかし、当分の間この異臭に悩まされることになった。ようやく娘が駅近くのHotel Interlaken(55€)を確保して一安心する。その晩は匂いをとるための洗濯におわれた。
2010年4月22日(木) 晴

移動時間(電車)=5時間49分

Nice(ニース)(8:25) ⇒ Marseille(マルセイユ)(10:40 12:30) ⇒ Arles(アルル)(14:14)
 早朝Arles(アルル)行きの切符(76.4€)を購入して、Nice(ニース)を8時25分に出発する。Nice(ニース)からCannes(カンヌ)にかけた地中海の浜辺に、散歩する人を多数見かけた。Marseille(マルセイユ)駅では2時間待ちの接続だった。待ち時間に駅からMarseille(マルセイユ)市街地を見渡すと、雑多な町並みと高台に尖塔が望めた。Arles(アルル)にはほぼ定刻の14時14分に到着した。駅舎内のツーリスト事務所が開くのを待って今夜の宿を手配する。少し高めの宿Hotel d’Arlatanを予約した。駅を出て左に進み、Lamartine(ラマルティーヌ)広場を通り、Cavalerie(カヴァルリ)門を抜けた先にその宿はあった。当日は明日からの巡礼路のガイド本(Guide depoche du randonneur et du pelerine:フランス語)の確保、レビュブリック広場に面したSt(サン)Trophime(トロフィーム)教会でクレデンシャル(4€)入手等の準備に追われる。
2010年4月23日(金) 晴

移動時間(電車)=5時間49分

Arles(アルル)
 午前中はHotelでゆっくり過ごす。午後に昨夜のHotelは高かったので、飛び込みで安いHotelを確保する。その後世界遺産の遺構群(古代劇場、ムルグの塔、円形闘技場)や中庭が花で彩られたEspace(エスパス) Van(ヴァン) Gogh(ゴッホ)等を巡った。何も予備知識がなかったので、漠然と見学した。娘はルピュイから歩くというので、連絡方法の確認のためテレホンカードを購入して通話試験を行う。

(アルルの道_その1)

2010年4月24日(土) 雨のち晴

距離=22.6Km 累計距離=22.6Km 所要時間=8時間00分

Arles(アルル)(8:00) ⇒ St(サン)Gilles(ジル)(16:00)
 娘は突然、ルピュイに行くのに時間がかかるので、ここからスタートすると云う。二人でArles(アルル)を出発することになる。時計を見ると8時になっていた。歩き始めのところで2コースに別れていたので、Rhone(ローヌ)川沿いの単調なコースを選択する。Rhone(ローヌ)川には遊覧船がたくさん停泊していた。歩き初めて暫くして、赤と白の道標を見つけた。これからはそれを目印に進むことになる。川から離れた所で少し迷い、聞きながら何とかコースを確認する。それからは未舗装のいなか道を順調に進んだ。川沿いの道には木から飛んだ綿のようなものが、たくさん堆積していた。巡礼者とは誰にも会わなかったが、線路を横断するところで線路沿いに歩いてくる巡礼者に初めて出会った。彼はGPSを持っており、かなり大きな荷物を持っていたが、先行されその後会うことはなかった。途中暑さのため水不足となり、ホームセンタみたいな所に寄るが、水はなく好意によりジュースを頂いた。荷物が重いことと水不足もあり、目的地St(サン)Gilles(ジル)には16時頃の到着となった。ファサード彫刻で有名な大修道院付属教会L’Abbatialeに寄ってクレデンシャルのスタンプと今夜の宿を教会の宿泊所に確保した。ホスピタレーロから教会内を見せてもらった。教会の地下も見ることが出来た。宿は2段ベッドで、6人泊まれるが満室であった。イタリア、オランダ、ベルギー人との同宿となった。オランダ人夫婦だけは逆方向のArles(アルル)に向かうという。最初の1日は何とか終わった。
2010年4月25日(日) 晴

距離=17.8Km 累計距離=40.4Km 所要時間=7時間20分

St(サン)Gilles(ジル)(8:40 4時間20分) ⇒ Beauvosin(ボーヴォワザン)(13:00 3時間) ⇒ Vauvert(ヴォヴェール)(16:00)
 8時40分頃のスタートで今日の目的地をVauvert(ヴォヴェール)に決める。昨日の反省もあり、水を多めに持った。水道水が飲めると聞き安心する。一面葡萄畑の中を順調に歩を進める。ところが道標×のマーク(巡礼路ではない)の意味がわからず、そのまま進みコースアウトする。ちょうど1/3ぐらい進んだところであった。葡萄畑の中をかなり歩いたところで間違いに気づいた。道路に出たところで通りかかった車を止め現在位置を確かめる。そのまま地図と人を頼りに、巡礼路からそれた小さな町Beauvosin(ボーヴォワザン)まで行き宿泊場所を捜すが、全くありそうではなかった。しかたなく道路に沿ってVauvert(ヴォヴェール)に向けて歩いた。沿道に藤で着飾った邸宅があり、目の保養になった。Vauvert(ヴォヴェール) 入口Barでビールを飲み、一服する。Grand Temple(教会)を通り、Eglise notre dame(教会)前に16時頃到着した。予定の宿は満室で、娘が1時間程かけてHotel Le Lys d’Or(86€)を予約する。今日は日曜日でBar以外の店は休みだった。教会前のBarでビールを飲み、食べ物屋をさがしていたら、ピザ屋があったのでそれを購入する。
2010年4月26日(月) 晴

距離=12.1Km 累計距離=52.5Km 所要時間=5時間10分

Vauvert(ヴォヴェール)(9:10 5時間10分) ⇒ Gallargues(ガラルグール) le(ル) Montueux(モンテュ)(14:20)

 そのHotelで朝食を摂り、今夜の宿をHotelのオーナにお願いして予約する。お礼に2€のチップを置く。そこを9時10分に出発する。昨日と同じ様な風景の中、14時20分頃Gallargues(ガラルグール) le(ル) Montueux(モンテュ)のTemple de l'Eglise Protestante Unie-Gallargues(教会)に到着する。近くに待合せ場所の市庁舎があった。宿のホスピタレーロとの約束時間まで間があるので、教会前の日陰で暫く休憩した。ここには古い病院跡があるとガイド本に書いてあったので、付近を散策しながら捜したがみつからなかった。なんのことはない教会のすぐ近くにその病院跡はあった。娘は昨日の朝から腹具合が悪く、近くの薬局に薬を買いに行った。その間に2度市庁舎前で宿泊所のホスピタレーロらしき人に尋ねられるが、チンプンカンプンで娘が帰るまで待ってもらった。16時頃娘が対応して宿に入る。カナダケッベック出身のヨランダ夫婦と同宿する。宿の世話人は非常に話好きだった。
2010年4月27日(火) 晴

距離=35.4Km 累計距離=87.9Km 所要時間=11時間20分

Gallargues(ガラルグール) le(ル) Montueux(モンテュ)(6:10 9時間50分) ⇒ Vendargues(ヴォンダルグ)(16:00 1時間30分) 🚋 Montpellier(モンペリエ)(17:30)

 町を抜けると、葡萄畑越しにMontueux(モンテュ)の町が望めた。今日は高速道路を右に見たり、左を見たりして、田んぼ道をだらだらと歩いた。途中何度かヨランダ夫婦とご一緒する。昨日ホスピタレーロに聞いたとおり、Montpellier(モンペリエ)手前のVendargues(ヴォンダルグ)からバスでMontpellier(モンペリエ)へ行くことにした。今日も暑くVendargues(ヴォンダルグ)には16時頃に着くが、バス停がわからず通りかかった人に尋ねる。最近近くに引越しされたイギリス人で、前はさほど遠くない海辺に住んでいたということで、この辺の事情にあまり詳しくなかった。しかし電話をかけたり、自動車でさがしたりしてくれ、結局トラムで行った方が良いということになり、わざわざ3Km程離れた駅まで送ってくれた。切符を買う時間がないままトラムに乗ることになり、ひやひやでMontpellier(モンペリエ)の最寄駅に到着する。たまたまヨランダ夫婦が乗り合せていた。駅前広場を抜け街路樹が綺麗な広い通りを、Montpellier(モンペリエ)の中心に向かって進んだ。Comedie(コメディー)広場から迷路のような石畳を通り、本日の宿であるSaint(サン)Roch(ロック)教会に尋ね尋ね行きついた。さっそくクレデンシャルにスタンプしてもらい、5€の寄付をする。ホスピタレーロにMontarnaud(モンタルノ)のGiteを予約してもらう。今夜は近くのスーパへヨランダ夫婦と買物に行き自炊をした。
2010年4月28日(水) 晴

距離=19.2Km 累計距離=107.1Km 所要時間=8時間45分

Montpellier(モンペリエ)(8:15 3時間35分) ⇒ Grabels(グラベル)(11:50 5時間10分) ⇒ Montarnaud(モンタルノ)(17:00)

 8時15分に宿を出発し、市内見学をしながら市街地を歩く。Arc de Triomphe(凱旋門)をくぐった先のPeyrou(ペイル)公園からの眺めはすばらしかった。広場から階段を降りると、左側に水道橋が延々と続いていた。途中でおじさんに声をかけられ、車に乗りなさいと言われたが断った。高速道路を越えたあたりで道に迷い、道を尋ねながらの歩行でかなり時間をロスした。しかたなく当初予定していたとおりトラムとバスで行くことにした。サッカー場の横をとおり路上のアラブ系市場を横切り、トラムの駅に着く。
 バスに乗り継ぎ、Grabels(グラベル)に到着する。どういうわけかバス賃は受取らなかった。運転手に巡礼路を聞きスタートしたが、近くをしばらく迷走した。Paroisse教会のところの道標で巡礼路を確認する。川沿い、山道、荒野、牧場等を経由して、17時頃Montarnaud(モンタルノ)に着く。そこでも親切なおばさんがGiteに電話してくれ、Giteの女主人が車で迎えに来てくれた。Giteは村中を少し離れた閑静な巡礼路沿いにあった。プールを備えた小奇麗なGiteだった。今夜もヨランダ夫婦と一緒だった。女主人の用意した夕食を皆で頂いた。今日は強い日差しに阻まれ、1時間3Kmしか進まなかった。明日からは少し早めに出発することにした。
2010年4月29日(木) 晴

距離=20.0Km 累計距離=127.1Km 所要時間=7時間50分

Montarnaud(モンタルノ)(7:10 1時間15分) ⇒ La(ラ) Borissiere(ボアシエール)(8:25 1時間55分) ⇒ Aniane(アニアーヌ)(10:20 1時間20分) ⇒ Pont(ポン) du(デゥ) diadlo(ディアブル)(11:40 1時間20分) ⇒ St(サン) Guihem(ギレム) le(ル)Desert(デセール)(13:00)

 今日は昨日の反省から、日中の日差しを少しでも避けるため7時10分にスタートした。Giteのおばさんに鈴と5円玉を、記念にもらって頂いた。今日は最初から急坂の山道になった。La(ラ) Borissiere(ボアシエール)までの山道5Kmを1時間15分で踏破した。そこから山道7.2Km を経てAniane(アニアーヌ)に10時20分に到着した。葡萄畑とポピーが良い被写体となった。Pont(ポン) du(デゥ) diadlo(ディアブル)には11時40分に到着した。このあたりはLe Pont du Diable渓谷になっており、エロ-川に架かる橋からの眺めは素晴らしく、多くの観光客で賑わっていた。近くにはGrotte de Clamouse(鍾乳洞)もあるようだ。St(サン) Guihem(ギレム) le(ル-)Desert(デセール)までは、エロ-川の渓谷に沿った舗装道路を楽しみながら歩いた。途中にあるgorge de l'héraultは史跡になっている。ヨランダ夫婦と共に13時と早めの到着となった。
 この町は観光地となっており、佇まいは谷間の狭い空間に古い石造りの民家が密集していた。Giteもその中にあり、相当古いものであった。遅い昼食を近くの穴倉のようなレストランで済ました。午後はリベルテ広場の樹齢150年のプラタナス、ロマネスク建築の特徴あるAbbaye de Gellone(アベイ・ドゥ・ジェロス)教会Chateau de saint guillem le desert(岩山)を背後にひかえた町中を見物した。またMairie(メリ-)に寄りクレデンシャルにスタンプを押してもらった。夕食は教会近くの店で食材を買い、Chalet refuge gîte du CAF(Gite)で自炊した。
2010年4月30日(金) 曇

距離=25.0Km 累計距離=152.1Km 所要時間=8時間00分

St(サン) Guihem(ギレム) le(ル)Desert(デセール)(6:10 5時間5分) ⇒ Arbras(アルボラ)(11:15 2時間55分) ⇒ St(サン)jean(ジャン)de(ド)la(ラ)Blaquiere(ブラキエール)(14:10)

 今日は25Kmの距離で山越え2箇所ということで、6時10分にスタートした。歩き始めから急坂の登りで、行程の殆どが山道だった。途中巡礼路沿いにミツバチの巣箱があり、うっかり近くを通り刺されてしまった。峠を越した下り坂に朽ちかけた城壁のようなものがあった。曇空で汗もかかず、体力の消耗も少なく済んだ。Arbras(アルボラ)を11時15分に通過し、Blaquiere(ブラキエール)には14時10分に着いた。本日の宿Gite d'étape St Jacquesは支庁管理で、路地の奥まったところにあった。泊り客はヨランダ夫婦を含め8人で、ここでフランスの老夫婦に始めてあった。夕方20時過ぎから雨になった。
2010年5月1日(土) 雨

距離=13.7Km 累計距離=165.8Km 所要時間=4時間00分

St(サン)jean(ジャン)de(ド)la(ラ)Blaquiere(ブラキエール)(7:05 2時間30分) ⇒ St(サン)Michel(ミッシェル) de(ド) Grandmont(グランモン)(9:35 1時間30分) ⇒ Lodeve(ロデーヴ)(11:05)

 7時5分曇空の中出発した。すぐに山道となり、標高400M程の山越えを2回経て、Grandmont(グランモン)を9時35分に通過した。高台から町並みを俯瞰しながら急坂を下り、Lodeve(ロデーヴ)に11時5分に到着した。Lodeveは、レルグ川に沿った綺麗な町だ。雨に1時間ぐらい降られた。川に面してGiteはあり、オーナーはピートさんという。ピートさんは英語が堪能でまだ若かった。洗濯機・乾燥機を備えた小奇麗なGiteだった。今日の泊まりはヨランダ夫婦、ドイツ人ハンスと、オーストラリア人女性だった。Paroisse Saint-Fulcran Lodeve(サン フュルクラン)カトリック教会は大変古く、ステンドグラスは壮観だった。早く着いたので、町中を散策して時間を過ごした。山の上に興味をそそられるものが見えたが、何であるか確認出来なかった。
2010年5月2日(日) 晴

距離=23.0Km 累計距離=188.8Km 所要時間=6時間15分

Lodeve(ロデーヴ)(7:50 4時間) ⇒ Bernagues(ベナグ)(11:50 2時間15分) ⇒ Joncels(ジョンセル)(14:05)

 今日はお勧めのGiteに泊まるためJoncels(ジョンセル)止まりとした。7時50分にスタートし、高度650M前後の山を上がり下りしながら進んだ。途中Salagou(サラグー)湖が眼下に望めた。気温は20度を超えていたが肌寒かった。だらだらした山道をただひたすら歩いた。道端には、白や黄色の花をつけた木が密生していた。Auberge Issiates(Gite)には14時5分の到着で、アップダウンのある山道の割には比較的早く着いた。評判どおりすばらしいGiteだった。食事にはおいしい肉がつき、楽しく頂いた。今夜の泊まりはヨランダ夫婦、フランス人老夫婦、他2人の計6人だった。リビングはいろいろな飾りつけがあり、独特の雰囲気を醸し出していた。部屋も個室でゆっくりくつろげた。しかし、まわりは民家が数軒のみで閑散としていた。明日の宿はMare(マール)にする予定だったが、満室のためMècle(メッシュ)となった。そのため、宿のオーナから翌朝Mare(マール)まで送ってもらうよう頼んでもらった。ここで、巡礼グッズの帆立貝(5€)を買った。
2010年5月3日(月) 晴

距離=30.8Km 累計距離=219.6Km 所要時間=5時間45分

Joncels(ジョンセル)(6:50 20分) 🚘 Lunas(リュナス)(7:10 1時間5分) 🚘 Bousquet(ブスケ)d'Org(ドルブ)(8:15 5時間45分) ⇒ Mècle(メッシュ)(14:00)

 今日は距離の関係でBousquet(ブスケ-)d'Org(ドルブ)まで車で送ってもらうことにした。老婦人は足を痛めていたので、バスで次の宿泊場所に移動することになった。途中のLunas(リュナス)は車中での見学で、少し残念だった。L'église Saint-Pancrace de Lunas教会がグラヴゾン川越しに見えた。8時15分に歩き始め、1000M近い山越えをし、今夜の宿があるさみしい村Mècle(メッシュ)に14時についた。近くの教会、村を見下ろせる高台を散策した。今夜のMècle(メッシュ)の宿はフランス人エンジニアと同宿だった。宿のオーナに友達に頼まれたということで、白紙に諺を漢字を交えて書いた。翌朝Mare(マール)まで送ってもらいたいと交渉するが、仕事があるのでだめだと言われた。夜中に雨が降り出した。
2010年5月4日(火) 雨のち雪

距離=30.6Km 累計距離=250.2Km 所要時間=9時間50分

Mècle(メッシュ)(8:10 50分) ⇒ Saint(サン)Gervais(ジェルヴ)sur(シュル)Mare(マール)(9:00 1時間) ⇒ Castanet(カスタネ)Le(ル)Haut(オー)(10:00 7時間)  ⇒ Senausses(スノース)(17:00 1時間)  ⇒ Murat(ミュラ)sur(シュル)Vebre(ヴェーブル)(18:00)

 今日はMare(マール)まで送ってもらえなかったので長丁場になった。出発は早くするつもりであったが、8時10分になった。9時にMare(マール)到着、そこから山道になりCastanet(カスタネ)Le(ル)Haut(オー)に10時到着した。そこから雨が強くなり、山にはうっすら雪らしきものが望まれた。そこの雨を凌げる場所でフランス人エンジニアに会い、菓子を頂いた。彼は国道を迂回していくというので、そこで別れることになった。山道をしばらく歩いていくと、10時30分頃から雪道となり、だんだん本格的な雪模様となり、それに伴い歩くペースもダウンしていった。それからは積雪と雪による折木のため困難な歩行を強いられた。途中風車のところで昼食を摂った。雪のため道標が解らず、踏跡だけをたよりに歩く。何とか次の町Senausses(スノース)に着き、時間を見ると17時前だった。そこから今夜の宿まで、どういうことか1匹の犬が着かず離れず着いてきて、とうとう宿までついて来た。Murat(ミュラ)sur(シュル)Vebre(ヴェーブル)のGiteには18時前に到着した。宿のオーナが心配していろいろ気配りしてくれた。もう少し遅ければ捜索にいくところだったと聞かされた。再びヨランダ夫婦とフランス人エンジニアと同宿した。フランス人老夫婦は途中の町に宿泊した。フランス人エンジニアは国道が雪で狭くなり大変危なかったとのことである。今夜は同宿のものと楽しい食事を頂いた。
2010年5月5日(水) 曇のち雨

距離=21.3Km 累計距離=271.5Km 所要時間=6時間40分

Murat(ミュラ)sur(シュル)Vebre(ヴェーブル)(8:20 6時間40分) ⇒ La(ラ) Salvetat(サルヴタ)sur(シュル)Agout(アグー)(15:00)

 Murat(ミュラ)sur(シュル)Vebre(ヴェーブル)のGiteを8時20分にスタートすると、直ぐに霧で曇ったMurat(ミュラ)sur(シュル)Vebre(ヴェーブル)の教会が右に見える。一面雪景色で、Arles(アルル)スタート当初の暑さが信じられなかった。今日も昨日ほどではないが雪道の歩行となり、寒い1日となった。Lauzas(ラウザ)湖沿いにしばらく進み、マリアとキリスト像がある教会付近で昼食を摂る。宿を手配するためLa(ラ) Salvetat(サルヴタ)sur(シュル)Agout(アグー)のツーリストに立寄る。今夜はGiteがなく、Hotelとなった。15時にそのHotelに到着した。ヨランダ夫婦とは前宿から別行動となり、結局夫婦の最終目的地Puente(プエンテ) la(ラ) Reina(レイナ)までに再開することはなかった。同宿のドイツ人に明日の宿を予約してもらう。La(ラ) Salvetat(サルヴタ)sur(シュル)Agout(アグー)(15:00)の教会は小高い人家が密集した一角にあった。
2010年5月6日(木) 雨

距離=20.0Km 累計距離=291.5Km 所要時間=5時間30分

La(ラ) Salvetat(サルヴタ)sur(シュル)Agout(アグー)(8:30 5時間30分) ⇒ Angles(アングル)(14:00)

 La(ラ) Salvetat(サルヴタ)sur(シュル)AgoutのHotelを8時30分に出発する。3日連続で雪山ロードと折木と雨に悩まされる。小さな池を過ぎると、教会前の広場に着いた。近くの道路上には、雪を背景にさくらに似たピンクの花が咲いていた。Anglesの中心から少し離れたペンション風の宿には、14時の比較的早い到着となった。娘がさっそく翌日の宿を手配する。宿泊者はドイツ人夫婦と連れのオーストリア人と前に同宿したフランス人とスペイン人だった。スペイン人はMurat(ミュラ)sur(シュル)Vebre(ヴェーブル)から雪道を40Km歩いてきたようだ。ディナーはご馳走だった。スペイン人から熊野古道のことを聞かれたが、あまり知識がなかったので、的確な説明が出来なかった。
2010年5月7日(金) 快晴

距離=21.0Km 累計距離=312.5Km 所要時間=6時間35分

Angles(アングル)(8:40 6時間35分) ⇒ Boissezon(ボワッスゾン)(15:15)

 オーナーが車で少し手前にあった教会近くのパン屋まで連れていってくれ、今日の昼食を仕入れた。そのため8時40分の少し遅めのスタートになった。巡礼路に戻るため、たんぼ道をショートカットした。途中先発したドイツ人夫婦と連れのオーストリア人に会い、しばらく一緒だったがすぐに別れた。途中コースアウトにより30分程ロスした。前半は林の中の雪道だったが、Boissezon(ボワッスゾン)に近づくと嘘のように雪がなくなった。Gite d’etapeは町入口付近にあり、近くに管理人がいた。高台の古い教会に、坂道を上り見学する。今夜はドイツ人達5人とシェアして夕食をとった。何故だか、皆と地図を広げて、明日からのミーティングが始まった。
2010年5月8日(土) 曇のち晴

距離=27.0Km 累計距離=339.5Km 所要時間=8時間45分

Boissezon(ボワッスゾン)(8:15 3時間45分) ⇒ Castres(カストル)(12:00-13:15 3時間45分) ⇒ Viviers(ビビエ)lès(レ)Montagnes(モンターニュ)(17:00)

 Boissezon(ボワッスゾン)を8時15分に出発する。雲は全くなく、陽がさすと暑いくらいだ。Castres(カストル)に12時に着き、公園で昼食休憩をとる。サッカのサポーターらしき集団に出会う。13時15分に再スタートするが、公園が巡礼路からはずれていたため迷ってしまう。おばさんに道を訪ねると、何故だか自分の店に案内する。話が長くなり、埒があかないので、お礼を言って立ち去る。本人は親切のつもりだろうが、非常におせっかいである。巡礼道に戻り、St(サン)jacques(ジャック)教会付近でAgout(アグー)川に接する。Agout(アグー)川にかかるヌフ橋から、川面に写る町並みは美しかった。ヌフ橋を渡り左にしばらく行った所に、工事中のSaint-Benoît(サンベノワ) de(デ) Castres(カストル)大聖堂があった。近くにはMusée Goya(ゴヤ美術館)があったが素通りした。
 Parc de jeux(ジュ公園)横を抜け、郊外に出た。16時15分にViviers(ビビエ)lès(レ)Montagnes(モンターニュ)のÉglise Saint Martin(カトリック教会)前に着いた。Giteはそこにはなく、どうやら途中から左折しなければならなかったことが解った。道路沿いを後戻りして、17時にViviers(ビビエ)lès(レ)Montagnes(モンターニュ)のGiteに着いた。今夜は他の客はいなかった。オーナーは酪農家で、すぐ近くに牛舎があった。自家製食材を使った夕食が出た。
2010年5月9日(日) 曇、雨、晴

距離=25.6Km 累計距離=365.1Km 所要時間=7時間35分

Viviers(ビビエ)les(レ)Montagnes(モンターニュ)(8:10 2時間50分) ⇒ En(アン) Calcat(カルカ)(11:00-11:30 4時間15分) ⇒ Revel(ルヴェル)(15:45)

 女主人に巡礼路の入口まで車で送ってもらった。一面田園の中をひたすら歩いた。田園のなかに教会らしきものがあったので、写真に収める。道路にぶつかったところから左折し、正規コースをそれて、前日勧められたEn(アン) Calcat(カルカ)修道院に立寄った。そこではちょうど日曜礼拝をやっており、私たちもそのミサに11時から11時30分まで参加した。そこの公衆電話で、娘が今夜のRevel(ルヴェル)での宿を予約する。日曜日のため希望のGiteがとれず、やむなく62€でHotelを確保する。En(アン) Calcat(カルカ)からRevel(ルヴェル)までは道路上を暫く歩いた。Revel(ルヴェル)に15時45分に着き、定番のÉglise Notre Dame Des Grâces(カトリック教会)を見学する。それ以外見るべきものがない。ホテル近くのOffice de Tourisme de Revel(観光案内所)を通るが閑散としている。土、日曜日はほとんどの店が休みになるので困る。夕食は近くの店でハンバーグを買い、Hotelで食べる。20時頃雷と激しいスコールとなる。
2010年5月10日(月) 晴

距離=13.0Km 累計距離=378.1Km 所要時間=6時間50分

Revel(ルヴェル)(8:30-9:30 6時間50分) ⇒ les(レ) Casses(カッス)(15:20)

 Hotelを8時30分に出発する。近くで朝食を済ますと9時30分になった。川に沿った単調なコースで、住民の散歩道になっていた。途中小高い丘に、教会を中心とした集落が望めた。高速道路らしきものも、平行して走っている。Lenclas(ランクラ)湖に12時30分に着いた。レストランで昼食(13€)を摂り、13時30分に再出発する。湖を一周して、あいかわらず川沿いを進む。Giteには15時20分に到着する。小さな小さな集落を散策すると、古い小さな教会があり、バス停では子供たちが遊んでいた。翌日の宿をMontferrand(モンフェラン)に決める。ここからは23Kmの距離である。夕食はパスターである。夫婦一組と女だけの4人連れと一緒だった。
2010年5月11日(火) 晴

距離=25.4Km 累計距離=403.5Km 所要時間=4時間30分

les(レ) Casses(カッス)(8:00 4時間30分) ⇒ Montferrand(モンフェラン)(12:30)

 8時に出発する。相変わらず単調な川沿いの、麦畑ばかりのコースを進む。遥かかなたには、雪を抱いたピレネーの山並みが見えた。サイクリングを楽しんでいる人がたくさんいた。12時30分にはGiteに到着する。15時30分オープンなのでしばらく待つことになる。その間1時間程をかけて近郊を散策した。鉄道が近くを通っており、駅らしき構内に入るが、係員に追い返される。Segala(セガラ)の町にはBarがあり、運河には遊覧船が浮かんでいた。近くに湖があるので、そこに行っているのであろうか。橋の上で眺めていると遊覧船が近づき、私に向かって手を振っている。さらにLabastide(ラバスティド) d’Anjou(ダンジュ)に行ったが、小さな教会だけで見るべきものはなかった。Giteに帰り、夕食が出来る店を捜す。近くにあったが、夕食は19時からだった。Giteに帰り、受付を済ます。すると夕食も出来るというのでお願いする。今夜の泊まりは、私達以外に自転車2組4人と巡礼者1人だった。その頃から小雨がちらつき始める。
2010年5月12日(水) 雨のち曇

距離=67.0Km 累計距離=470.5Km 所要時間=6時間15分

Montferrand(モンフェラン)(8:45 3時間) ⇒ Villefranche(ヴィルフランシュ)de(ド)Lauragais(ドラゲ)(11:45-12:11 32分) 🚋 Toulouse(トゥールーズ)(12:43-15:00)

 Montferrand(モンフェラン) を8時45分に出発する。出たところで、年配の巡礼者と写真を撮りあう。このあたりは、鉄道と高速道路が巡礼路と平行に走っている。また、風車を時々見かける。Villefranche(ヴィルフランシュ)de(ド)Lauragais(ドラゲ)に11時45分に着く。ここは比較的大きな町だった。6つの時報の鐘が組み込まれた四角い建物が印象に残った。Villefranche(ヴィルフランシュ)de(ド)Lauragais(ドラゲ)駅から電車でToulouse(トゥールーズ)に行くことにした。市街地は味気ないコースで迷いやすいからです。そこを12時11分に発車し、Toulouse(トゥールーズ)には12時43分に到着した。
 Toulouse(トゥールーズ) の駅舎は歴史を感じさすりっぱなものであった。駅前はミディー運河に美しい町並みを映していた、駅から少し歩いたレストランで1時間ほど昼食時間を取る。1760年完成のToulouse(トゥールーズ)の市庁舎「キャピトル」は、横幅150Mでバラ色のレンガと白い石を組み合わせた豪華な建物だった。そこからツーリスト経由で、Giteには15時に到着する。ツーリストで聞いた巡礼者専用の本屋に行き、これからの巡礼資料を手に入れる。また今夜の食材を確保する。近くの聖セルニヌス聖遺物が祀られたサン・セルナンバシリカ教会付近を散策していると、19時頃の帰りとなる。同室にはメキシコ人とイタリア人がいた。一人は風邪をひいていて、酷くしんどそうであった。夜中遅く入室があって、何か不安を感じる宿泊となった。

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