塩尻宿
(概要) 塩尻宿は慶長19年(1614)の中山道が牛首峠から塩尻峠に街道変更になった際、洗馬宿、本山宿とともに新しく造られた。宿の普請は、松本領主の小笠原秀政がその任にあたり、旧宿の南西の位置へ東西に、新しく塩尻宿の町割りをした。本陣の規模は中山道の中でも最大で建坪367坪、脇本陣は270坪あった。宿内には高札場、松本藩の口留番所が置かれた。文政11年(1828)と明治15年(1882)の大火で宿の大部分を焼失した。国重要文化財の小野家、堀内家住宅が往時を偲ばせる。➠ Map