この地は、交通の要所で古くから栄えてきた。しかし、明治14年7月10日の火事で、主要な建物は大部分が焼けてしまった。宿場町のほぼ中心にある本陣跡の大部分は、南木曽町森林組合の建物が占めていて、庭木の枝垂桜と明治天皇御前水が残されているのみだ。 この付近は、高い山が木曽川沿いに切り立ち、大雨が降ると土砂崩れがよく起こった。そのため、三留野宿と野尻宿間の山道を迂回する与川道(よがわみち)が造られた。