(概要)
1537年に斉藤道三の養子斉藤大納言正義によって古城山の山頂に築かれた本格的山城で烏峰城と名付けられました。1565年に森可成が織田信長からこの城を賜り、以後森家3代の居城となりました。関ヶ原の合戦後、1601年頃に破城(城の一部を壊し、城の機能をなくすこと)されましたが、破城後ほとんど改変のない状態で約400年間保たれています。このような織豊系城郭の特徴が全て見られ、標高277mの山頂からは、明智光秀のふるさと明智荘や遠くは愛知県の山々が見渡せます。
標高約277メートルの古城山の山頂に築かれ、天守台を山頂に配置し、本丸を中心に二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配され、天守台北東側に東腰曲輪と称する一郭がある。北麓部には米蔵跡と伝承される曲輪がある。石垣・礎石建物・瓦の使用などに織田信長・豊臣秀吉の時代にあたる織豊系城郭の特徴が見られます。(案内板一部転記)
遺構説明は、発掘調査した可児市教育委員会の調査報告を抜粋した。遊歩道が良く整備され、こまめに史跡の案内板がある。
(アクセス)
東海環状自動車道の可児御嵩ICから12分、中央自動車道の土岐ICから約30分です。
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